ロウ人形館「サイパン・激動の歴史」


 ラッテストーン (タガスト−ン)とは?
ラッテストーンとは、マリアナ諸島独特の遺跡で、珊瑚岩を材料に作られた角柱の上にコーヒーカップ状(半円球)の石が載っている石造物です。古代マリアナ諸島の王、タガにちなんでタガストーンとも呼ばれています。古いものは10世紀前から造られていたと云われますが、17世紀後半に起こったマリアナ諸島の原住民族と、当時マリアナを支配していたスペイン人との戦争で、原住民族が激減したことにより古代文化が途絶え、ラッテストーンが何に利用されていたかは謎の部分も多く、さまざまな説がある中、古代マリアナ諸島と交流があったインドネシアの壁画遺跡に、ラッテストーンが家の土台として描かれていた事実もあり、家の土台説が最も有力視されています。小さいもので1m、大きいものでは5mもあり、ロタ島、テニアン島、グアム島などで見ることができますが、残念ながらサイパンでは戦前の農地開拓、太平洋戦争での爆撃、戦後のアメリカによる整備によって、全てのラッテストーンは失われ、ただ一箇所、ラッテストーンが立っていたであろう跡地が残っているのみです。現在ではラッテストーンはマリアナ諸島のシンボルとして国旗にも描かれ、そのユニークな形は建築物の柱や装飾等に使われています。 ラッテストーン



 グアムと北マリアナ諸島を初めに発見したのは誰?
スペインの王チャールズ一世の命を受けて、世界一周の航海に出たポルトガル出身のフェルディナンド・マゼランが、1521年3月6日、グアム島とマリアナ諸島を発見、グアム島のウマタックに上陸したと云われています。グアムでは、毎年3月6日はディスカバリー・デー(発見された日)として、ウマタックでパレード等が行われています。 フェルディナンド・マゼラン



 マゼランがグアムと北マリアナ諸島を発見した時、北マリアナに先住していたのは?
現在の北マリアナ諸島の原住民族にはチャモロ、カロリニアン等の種族が存在しますが、マゼランの時代にすでにマリアナに住んでいたのは、チャモロ人だけとされています。カロリン諸島からカロリニアンの移住が始まったのは、19世紀初頭とされています。 原住民族チャモロ/カロリニアン



 北マリアナ諸島の原住民であるチャモロ族の先祖は、もともとどこの国からやって来た?
紀元前1800年頃からインドネシア、フィリピンからカヌーに乗って、マリアナ諸島に移り住んだのがチャモロ人の祖先と云われています。以後、他国による統治が始まるまで、チャモロ人は長い間、漁業や農耕による自給自足の生活を営んでいました。 地図



 フェルナンド・マゼランが航海半ばで命を落とした場所は?
フィリピンのセブ島において、指導者ラジャ・フマボンをキリスト教に改宗させた後、王位に付かせようとしましたが、これに近隣のマクタン島の酋長ラプ・ラプが反対し、戦闘に発展、1521年4月27日、マゼランはラプ・ラプの手にかかり、マクタン島において戦死しました。マゼランを討ったラプ・ラプは、フィリピンでは侵略者を撃退した伝説の英雄となりました。マゼラン亡き後は、長くて過酷な航海の末、生き残ったわずかの乗組員とエルカーノ船長により、マゼラン船隊で出航当時は5隻あったうち残った1隻のビクトリア号にて、1522年、ようやくスペインに辿り着き、西回りでの世界一周を達成しました。 フィリピンでは英雄のラプラプ



 スペイン統治下時代、1672年にスペイン人とチャモロ人との間に起こった戦いの原因は?
1668年に始まった、宣教師ディエゴ・デ・サンビトレスの布教活動は、最初のうちは順調でしたが、次第にマリアナの原住民が、生活習慣、文化の違いにより、スペイン支配に不満を持ち始め、キリスト教は島民の伝統的な生活習慣を奪うものとして抵抗運動が始まり、1672年グアム島のタモン村でチャモロ族の酋長マタパンが宣教師サンビトレスを殺害、これを機に、チャモロ人とスペイン人の20年間にも及ぶ長い戦争が始まりました。 チャモロ人とスペイン人の戦い



 マリアナ諸島の名前の由来は?
1668年6月、スペインから宣教師が来島し、キリスト教の布教活動を開始。布教活動の後援者であるスペイン女王マリアナ妃にちなんでマリアナ諸島と命名、以後、スペインによる333年間にも及ぶ統治が始まりました。 スペイン女王マリアナ妃



 スペイン統治時代に起こったスペイン対アメリカ戦争で1898年、勝利したアメリカが、スペインから勝ち取った島は? また、負けたスペインが、ドイツに売却した島々は?

1898年、アメリカがスペインに宣戦布告、スペインが敗れ、アメリカはグアム島のみを自国領とし、他のマリアナ諸島、カロリン諸島はスペインによってドイツに売却され、ドイツとスペインの領地政治交換が成立しました。以後今日に渡り、グアムはアメリカに属していますが、ドイツ領であったマリアナ諸島は、第一次世界大戦のドイツの敗戦により、国際連盟委任統治領として1922年、日本が統治することになりました。


北マリアナ諸島



 製糖事業を成功させ、シュガーキングと呼ばれた松江春次が、砂糖キビを運ぶために導入したものは?
松江春次が設立した「南洋興発」の主たる事業であった製糖事業は、砂糖キビを原材料とし、収穫した砂糖キビを運ぶために大規模な鉄道建設が行われ、マリアナは南洋最大の製糖産地として栄えました。島の産業の発展向上に貢献し、人々から「シュガーキング」と呼ばれた松江春次は、製糖事業の他にも、水産業・農園業・製酒業、鉱業・油脂工業・交通運輸業・貿易業に至るまで手を広げ、南洋興発は何万人もの労働者を抱える南洋最大の企業となりました。残念なことに、当時のサイパン島の鉄道は、太平洋戦争・サイパン戦とその後の整備により、跡形もなくなくなってしまいました。 機関車



 太平洋戦争が勃発した年は? その後、アメリカ軍がサイパンに上陸した年は?

1941年12月8日(ハワイ時間7日) 早朝、日本軍はハワイの真珠湾、グアム、フィリピン、香港、シンガポール等に一斉攻撃を開始、太平洋戦争に突入しました。体制を立て直したアメリカ軍は猛反撃を開始、1944年6月15日、アメリカ軍のサイパン島への上陸が始まり、第二次世界大戦で最も悲惨な戦闘であったと云われる 「玉砕の島」 の序章となりました。

サイパンに上陸するアメリカ軍



 太平洋戦争中、当時の日本の戦陣訓により、民間の日本人や兵士が窮地に追い詰められた時、選ぶべきとされていた道は?

「恥ヲ知ル者ハ強シ。常ニ郷党家門ノ名誉ヲ思イ、イヨイヨ奮励シテソノ期待ニ応ウベシ。生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ。死シテ罪過ノ汚名ヲ残スコトナカレ。」
生きて捕虜になり辱めを受けるくらいなら、汚名を残すことなく死ぬのが潔い、と言うこの戦陣訓は、軍人だけでなく多くの民間人にも多大な犠牲をもたらしました。
* バンザイ突撃・・・アメリカ軍の連日の攻撃により、7月初めには日本軍は潰滅状態に追いこまれました。北部マリアナ地区軍団・第四十三師団長の斎藤義次陸軍中将と、太平洋艦隊司令長官の南雲忠一海軍中将は、残った兵士に最後の捨て身の突撃を命じたのち、地獄谷の洞窟で自決したと言われています。7月7日、「バンザイ突撃」で有名な日本軍による最後の総攻撃が開始され、日本軍はほぼ全滅、2日後にアメリカ軍はサイパン占領を宣言しました。
* バンザイクリフ、スーサイドクリフからの身投げ・・・戦争も終盤を迎えた頃、生き残りの日本兵や民間人は、アメリカ軍の投降の呼掛けに応じることもできず、行き場所を失い、敵に捕まる前に、多くのものが、バンザイクリフやスーサイドクリフから身投げしました。バンザイクリフの名称は、身投げする者が飛び降りる瞬間に「天皇陛下バンザイ !」と叫んだことに由来し、スーサイドクリフのスーサイドは英語で「自殺」を意味します。

「我身ヲ以テ太平洋ノ防波堤タラン」



 アメリカ軍の投降の呼掛けに応じた者は?

投降の呼びかけに応じた者は、ススペの収容所へ移され保護、怪我をして保護された者には治療も施され、後に本国へ送還されました。捕虜となった兵士は一度アメリカ本土、ハワイ、カナダ等の収容所へ送られた後、本国へ送還となりました。

投降を呼びかけるアメリカ兵士



 1945年、アメリカ軍が広島と長崎に投下した原子爆弾を積んだB-29は、どこの空港から飛び立った?

アメリカ軍は、日本に近いことで利用価値のあったサイパンを占領後、計画通り、サイパンの空港から日本へ向けて、多くの爆撃機を飛ばしました。アメリカ軍はテニアンの飛行場も整備、1945年8月6日、この飛行場から飛び立ったアメリカ軍用機Bー29エノラ・ゲイは広島に原子爆弾リトルボーイを投下、同9日にはB-29ボックスカーが長崎にファットマンを投下。8月15日、日本は無条件降伏しました。この2つの爆撃の直接、間接的な被害で1945年の末までに14万人が亡くなったと云われています。テニアン島には2機が飛び立った地点に記念碑があります。

原爆を積んだB−29



 北マリアナ諸島は独立国? それともアメリカ領??

国連の太平洋信託統治区の一部として、アメリカ合衆国管理下のもと、北マリアナ諸島の人々は1970年代、独立せずにアメリカ合衆国と政治的に提携を結び、アメリカのの自治領となることに決定しました。外交と防衛はアメリカに権限があり、内政、入国管理、労働法等は北マリアナ政府の自治により行われるというものです。北マリアナ諸島として自治政府を持つ契約は1975年に承認され、1976年3月24日に発令、新しい政府と憲法は1978年に発ち上がり、以後8年の年月をかけ、1986年に完全に自治領となりました。今現在も独立はしておらず、アメリカ合衆国との政治的提携における自治領という体制をとっています。1986年、北マリアナ市民はアメリカ市民権を与えられましたが、グアムと同じくアメリカ大統領選への投票権利は与えられていません。

アメリカ国旗

北マリアナ諸島国旗




 北マリアナ諸島の政府のトップは?

知事。4年ごとに行われる北マリアナ諸島知事選において、2人1組で立候補する知事と副知事が、市民の投票により決められます。就任は1期4年間で、2期まで可。

北マリアナ諸島歴代知事



 現在の北マリアナ諸島の産業は?

北マリアナ諸島はグアムと同じく温暖な気候と美しい海と自然を利用して、観光業が産業の主力となっています。

北マリアナ諸島の景観




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