|
「恥ヲ知ル者ハ強シ。常ニ郷党家門ノ名誉ヲ思イ、イヨイヨ奮励シテソノ期待ニ応ウベシ。生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ。死シテ罪過ノ汚名ヲ残スコトナカレ。」
生きて捕虜になり辱めを受けるくらいなら、汚名を残すことなく死ぬのが潔い、と言うこの戦陣訓は、軍人だけでなく多くの民間人にも多大な犠牲をもたらしました。
* バンザイ突撃・・・アメリカ軍の連日の攻撃により、7月初めには日本軍は潰滅状態に追いこまれました。北部マリアナ地区軍団・第四十三師団長の斎藤義次陸軍中将と、太平洋艦隊司令長官の南雲忠一海軍中将は、残った兵士に最後の捨て身の突撃を命じたのち、地獄谷の洞窟で自決したと言われています。7月7日、「バンザイ突撃」で有名な日本軍による最後の総攻撃が開始され、日本軍はほぼ全滅、2日後にアメリカ軍はサイパン占領を宣言しました。
* バンザイクリフ、スーサイドクリフからの身投げ・・・戦争も終盤を迎えた頃、生き残りの日本兵や民間人は、アメリカ軍の投降の呼掛けに応じることもできず、行き場所を失い、敵に捕まる前に、多くのものが、バンザイクリフやスーサイドクリフから身投げしました。バンザイクリフの名称は、身投げする者が飛び降りる瞬間に「天皇陛下バンザイ !」と叫んだことに由来し、スーサイドクリフのスーサイドは英語で「自殺」を意味します。
|